「本当の自分って、なんだろう?」

私たちは普段、「今ここにいる自分」が自分自身だと思っています。

自分の名前、年齢、性格、仕事、これまでの経験、価値観、そして頭の中で考えていること。

それらをまとめて「自分」だと考えるのが、一般的な感覚ではないでしょうか。

しかし、本当にそれらが「自分そのもの」なのでしょうか。

もし、性格が変わったら自分ではなくなるのでしょうか。

考え方が変わったら、以前の自分と今の自分は別人なのでしょうか。

そして、頭の中に浮かんでくる思考を「自分」と呼んでいますが、その思考が生まれていることを認識している存在は誰なのでしょうか。

この記事では、この疑問を「意識・自我・思考」という3つの観点から考えていきます。

  • 自我や思考は「本当の自分そのもの」ではない
  • 思考や自我を認識している「意識」に、本当の自分を見出すことができる
  • 自我や思考は、生きていくために必要な機能であり、否定するものではない

本当の自分とは

本当の自分とは、ここでは「意識」であると考えます。

私たちは普段、頭の中でさまざまなことを考えています。

「今日は何をしよう」

「あの人にどう思われただろう」

「もっとこうすればよかった」

「将来はどうなるのだろう」

このような思考は、絶えず頭の中に現れては消えていきます。

では、その思考そのものが「自分」なのでしょうか。

ここで、一つの疑問が生まれます。

思考していることを認識しているのは、誰なのでしょうか。

たとえば、「自分はいま怒っている」と気づくことがあります。

このとき、「怒り」という感情が存在している一方で、その怒りを認識している自分も存在しています。

同じように、

「不安なことを考えている」

「自分は嫉妬している」

「こんなことを考えてしまっている」

と気づくこともできます。

つまり、思考や感情を「認識する側」と、それによって認識されている「思考や感情」を区別して考えることができます。

この記事では、この「認識している側」を、本当の自分である「意識」と捉えます。

ただし、これは「意識が本当の自分である」とする一つの考え方です。

科学的に「意識こそが魂や本当の自分である」と証明された事実として断定するものではありません。

大切なのは、この視点から自分自身を見つめ直してみることです。

思考や自我は「自分」ではないのか

ここで誤解してはいけないのが、「思考や自我は必要ない」という意味ではないということです。

思考も自我も、現実世界を生きていくために重要な役割を持っています。

自分の名前を認識すること、自分の立場を理解すること、危険を避けること、将来について考えること、人間関係を築くこと。

こうしたことには、自我や思考が必要です。

では、何が問題なのでしょうか。

問題なのは、自我や思考を「自分のすべて」だと思い込んでしまうことです。

自我とは、「私はこういう人間だ」という自己認識です。

「私はこういう性格だ」

「私は失敗できない人間だ」

「私は人から認められなければならない」

「私はこうあるべきだ」

このような自己認識が積み重なることで、私たちは自分自身のイメージを作っていきます。

しかし、それらは生まれた瞬間から存在していたものではありません。

これまでの経験、教育、家庭環境、人間関係、社会の価値観などを通して、少しずつ形成されてきたものです。

だからこそ、自我や思考は変化することができます。

そして、それらが変化しても、それを認識している「意識」まで消えるわけではありません。

自我や思考が自分ではないなら、今までの自分は何だったの?

ここで、「自我や思考が本当の自分ではないなら、今まで生きてきた自分まで否定することになるのでは?」と思うかもしれません。

決してそういう意味ではありません。

むしろ、自我や思考も「自分の一部」として大切なものです。

たとえば、あなたの人生には、これまで経験してきた出来事があります。

仕事で努力したこと。

家族との思い出。

誰かに傷つけられた経験。

誰かを大切に思った経験。

失敗して悔しかったこと。

夢を叶えて嬉しかったこと。

それらの経験によって、現在の価値観や人格が形成されています。

つまり、自我は「偽物だから捨てるもの」ではありません。

自我は、この人生を生きるために形成された「自分の一部」です。

この記事でいう「本当の自分」とは、自我を否定するものではありません。

「自我=自分のすべて」ではなく、

「自我も自分の一部であり、それを認識している意識もまた、自分の重要な側面である」

と考えるのです。

本当の自分のしくみ

本当の自分を理解するために、人間を一つの階層構造として捉えてみましょう。

この記事では、次のような多重構造として考えます。

  1. 肉体
  2. 思考
  3. 自我
  4. 意識

これは、人間を理解するための一つの捉え方です。

肉体は、目で見ることができます。

思考は、頭の中で言葉やイメージとして現れます。

自我は、「私はこういう人間だ」という自己認識として働きます。

そして、そのさらに奥に「意識」という、これらを認識している存在があると考えます。

たとえば、自分の肉体を「自分」と呼ぶことはできます。

しかし、肉体は年月とともに変化します。

子どもの頃の肉体と現在の肉体は大きく違いますが、それでも私たちは「同じ自分」と感じています。

思考や価値観についても同じです。

昔とは考え方が大きく変わったとしても、「以前の自分」と「今の自分」をつなぐ感覚があります。

このことからも、「肉体」や「思考」、「自我」だけを自分そのものと考えるのではなく、それらの変化を認識している存在に目を向けることができます。

なお、「魂」や「意識」をどのように捉えるかについては、宗教や哲学、スピリチュアルな考え方などによって異なります。

ここでは、それらを「自分の内側にある、思考や自我を超えた認識の主体」という観点から扱います。

自分は、一つのものではなく、いくつもの階層から成り立っていると考えることができます。

自分は変えられるのか

ここまでの考え方を理解すると、「自分は変えられるのか」という疑問にも違った答えが見えてきます。

結論から言えば、自分の考え方や生き方は変えていくことができます。

なぜなら、自我や思考は固定されたものではないからです。

たとえば、以前は、

「失敗したら終わりだ」

と考えていた人が、経験を重ねることで、

「失敗も学びの一つ」

と考えられるようになることがあります。

同じ出来事を経験しても、受け止め方が変われば、その出来事から見える世界も変わります。

ただし、「意識を変えれば、現実のすべてが思い通りになる」という意味ではありません。

ここは非常に重要です。

人生には、自分の力だけでは変えられない出来事があります。

他人の行動、社会情勢、自然災害、突然起こる出来事など、自分の意思ではコントロールできないものも存在します。

だからこそ、「何が起きるか」まで自分の責任だと考える必要はありません。

私たちが変えていけるのは、主に出来事に対する自分の捉え方や、その後に選ぶ行動です。

つまり、「意識が変わると世界が変わる」というのは、外の世界が魔法のように変化するという意味ではありません。

自分の意識の向け方が変わることで、

物事の見え方、受け止め方、選択する行動、そして結果として経験する現実が変わっていく

という意味です。

「自分を変えたいのに変えられない」のはなぜ?

ここで、もう一つ重要な疑問があります。

「自分を変えられると言うけれど、そんなに簡単に変われない」

そう感じる人も多いでしょう。

これは当然のことです。

長い年月をかけて形成された価値観や思考パターンは、一日で消えるものではありません。

特に、過去の経験や人間関係によって強く形成された思い込みは、何度も同じように現れることがあります。

だから、「今日からポジティブになろう」と無理に考える必要はありません。

まずは、

「私はなぜ、こう考えるのだろう?」

「この考え方は本当に自分が望んでいるものなのだろうか?」

「今の自分に、この思考は必要なのだろうか?」

と気づくことから始めればよいのです。

変化の第一歩は、自分を無理に変えることではなく、自分の思考や感情に気づくことです。

気づくことができれば、その思考に自動的に従うのではなく、「別の選択肢もある」と考えられるようになります。

それを繰り返していくことで、少しずつ自分の生き方を変えていくことができます。

なぜ「自我」や「思考」が必要なのか

ここで、一つの疑問が生まれます。

「本当の自分が意識なら、なぜ最初から意識だけで生きないのでしょうか?」

この疑問を考えるには、私たちが現実世界でさまざまな体験をしていることに注目する必要があります。

人は、喜び、悲しみ、怒り、悔しさ、愛情、孤独、達成感など、さまざまな感情を経験します。

そして、その経験を通して、自分自身について理解を深めていきます。

このとき、自我や思考は重要な役割を果たします。

「私はこう感じた」

「私はこれが好きだ」

「私はこれが嫌だ」

「次はこうしてみよう」

という自己認識があるからこそ、個人としてさまざまな経験を積むことができます。

この記事の考え方では、意識そのものを「本当の自分」としながらも、現実世界で個別の体験をするために、自我や思考という「仮の自分」が必要だと考えます。

つまり、自我は敵ではありません。

自我は、意識がこの世界で個別の人生を体験するための一つの機能として捉えることができます。

自我は「本当の自分」ではありません。

しかし、それは「不要なもの」でもありません。

本当の自分である意識が、この世界でさまざまな体験をするために、自我や思考が役割を果たしていると考えることができます。

「仮の自分」としての自我

たとえば、映画を見るとき、私たちは主人公に感情移入します。

主人公が喜べば自分まで嬉しくなり、主人公が苦しめば自分も苦しく感じることがあります。

しかし、映画を見ている自分と、スクリーンに映っている主人公は同じ存在ではありません。

この記事では、この関係を自我と意識の関係に重ねて考えます。

自我は、現実世界を体験するための「主人公」のようなものです。

そして意識は、その主人公の体験を認識している側です。

私たちは、自我とあまりにも一体化してしまうため、

「自分は怒っている」

「自分は失敗した」

「自分は嫌われている」

と考えます。

しかし、一歩引いて観察すると、

「怒りという感情が生まれている」

「失敗したという思考が生まれている」

「嫌われているかもしれないという不安が生まれている」

と捉えることもできます。

この「一歩引いて観察する」という感覚が、本当の自分である意識を理解する重要なポイントになります。

自我が映写機なら、意識は映画館の館長

自我と意識の関係を、もう少し分かりやすくするために、映画館にたとえてみましょう。

自我は、これまでの経験や価値観、思い込みなどをもとに、世界を解釈する「映写機」のようなものです。

同じ出来事が起きても、人によって受け取り方が違うのは、その人が持っている価値観や経験が異なるからです。

一方、本当の自分である意識は、その映像を認識している側です。

映画館には、さまざまな映画があります。

楽しい映画もあれば、悲しい映画もあります。

感動する映画もあれば、恐怖を感じる映画もあります。

人生も同じように、さまざまな体験があります。

そして、自我によって作られた価値観や思い込みによって、

「自分はこのような世界を生きる人間だ」

と思い込んでしまうことがあります。

しかし、その思い込みに気づくことができれば、別の選択肢があることにも気づけます。

たとえば、

「私はいつも我慢しなければならない」

「私は人から認められなければ価値がない」

「もう年齢的に変わることはできない」

といった思考が浮かんだとしても、それを絶対的な真実だと決めつける必要はありません。

それは、これまでの経験から作られた一つの考え方にすぎない可能性があります。

「自分の現実は自分次第」とはどういう意味なのか

ここまで読むと、

「では、好きな現実を何でも自由に作れるということなの?」

と思うかもしれません。

答えは、「何でも思い通りにできる」という意味ではありません。

人生には、自分ではコントロールできない出来事があります。

病気、事故、家族の問題、他人の行動、社会情勢など、自分の意識だけでは変えられないものもあります。

だから、つらい出来事を経験している人に対して、

「あなたの意識が悪いから、その現実が起きている」

と考える必要はありません。

それは、この考え方を誤って解釈したものです。

「自分の現実は自分次第」という言葉が意味するのは、

「すべての出来事を自分で決められる」ということではなく、「起きた出来事に対して、どのような意味を見出し、どう向き合い、その後どのような選択をするのかは、自分の意識によって変えていける」

ということです。

同じ出来事でも、その受け止め方は人によって違います。

そして、受け止め方が変われば、その後の行動も変わります。

行動が変われば、将来の経験も変わっていく可能性があります。

これが、この記事でいう「意識が変わると世界が変わる」という意味です。

本当の自分に気づくと何が変わるのか

本当の自分が意識であり、自我や思考はその意識が体験するための一つの機能だと考えると、人生に対する見方が変わってきます。

たとえば、

「自分は失敗する人間だ」

という思考が浮かんだとしても、

「自分は失敗する人間だ」と決めつけるのではなく、

「今、自分の中に『失敗する人間だ』という思考が生まれている」

と捉えることができます。

この違いは小さく見えて、実は大きな違いです。

前者では、思考と自分が一体化しています。

後者では、思考を一歩離れたところから観察しています。

そして、その瞬間に「別の考え方を選ぶ」という可能性が生まれます。

これが、自我や思考を本当の自分だと思い込まないことの大きな意味です。

思考は「自分そのもの」ではありません。

思考は、自分の中に現れている一つの現象です。

その思考に気づき、観察し、必要であれば別の選択をすることができます。

「本当の自分」に気づくことは、今の自分を否定することではない

ここは、この記事を読むうえで特に大切なポイントです。

「本当の自分は意識」と聞くと、

「では、今までの自分は偽物だったの?」

と思うかもしれません。

しかし、そうではありません。

これまでのあなたも、あなた自身です。

これまで泣いたことも、笑ったことも、失敗したことも、誰かを愛したことも、すべてあなたが経験してきた人生です。

それを否定する必要はありません。

むしろ、これまでの経験があったからこそ、現在の自分があります。

ここで伝えたいのは、

「今の自分は偽物だから捨てる」のではなく、「今の自分を構成している自我や思考を、少し離れたところから見つめてみる」

ということです。

そうすることで、

「私はこういう人間だから変われない」

という固定された自己イメージから、少しずつ自由になることができます。

本当の自分とは何なのか

ここまでの内容を整理すると、「本当の自分」と「仮の自分」の違いが見えてきます。

仮の自分とは、肉体や自我、思考、価値観、性格などによって形成された「この人生における自分」です。

それに対して、本当の自分とは、それらの変化を認識している「意識」です。

もちろん、この考え方を知ったからといって、突然すべての悩みが消えるわけではありません。

自我も思考も、これからも生まれてきます。

怒ることもあれば、不安になることもあります。

悲しくなることもあるでしょう。

大切なのは、それらを「これが自分のすべてだ」と思い込まないことです。

「ああ、今、自分の中にこんな思考が生まれている」

「今、こんな感情を感じている」

と気づくことができれば、思考や感情に振り回されるのではなく、それらを観察する余地が生まれます。

そして、その余地が、自分の生き方を変える出発点になります。

本当の自分 まとめ

「本当の自分ってなんだろう?」

この記事の最初に、この疑問を投げかけました。

ここまでの考え方では、本当の自分は、年齢でも、性格でも、肩書きでも、過去の経験でもありません。

ましてや、頭の中に次々と現れる思考そのものでもありません。

それらを認識している「意識」こそが、本当の自分だと考えます。

では、「ウソの自分」が存在するのでしょうか。

厳密には、ウソというより「仮の自分」と考えたほうが分かりやすいでしょう。

自我や思考は、この世界で生き、他者と関わり、さまざまな経験をするために必要なものです。

だから、自我を否定する必要はありません。

重要なのは、

「自我は自分の一部ではあるが、自分のすべてではない」

と気づくことです。

そして、本当の自分を「意識」と捉えることで、

「私はこういう人間だから変われない」

という思い込みから、少しずつ距離を置くことができます。

意識が変われば、必ず外の世界が思い通りになるわけではありません。

しかし、世界の見え方、出来事の受け止め方、そして自分が選ぶ行動は変えることができます。

その積み重ねによって、これまでとは違う生き方を選択できる可能性が生まれます。

「本当の自分」とは、今までの自分を否定して見つけるものではありません。

これまでの自分を形作ってきた思考や感情、自我に気づき、そのさらに奥にある「それらを認識している意識」に目を向けることです。

「自分を変える」のではなく、「自分だと思い込んでいたものに気づく」。

その気づきから、自分自身との新しい関係が始まります。

そして、その気づきを重ねることで、これまで「変えられない」と思っていた自分の価値観や生き方にも、新しい選択肢が見えてくるかもしれません。

本当の自由とは、外の世界をすべて自分の思い通りにすることではありません。

自分の中に生まれる思考や感情を認識し、それにどう向き合い、どのような選択をするのか。

その「選択できる余地」に気づいていくこと。

それこそが、「本当の自分」を理解することの大きな意味なのではないでしょうか。