善と悪とは一体何でしょうか?それは二極を体験するために存在しています。
この記事は次のような人におすすめです
- 善と悪の役割や意味を知りたい
善と悪は二極を体験するための概念
この世界には二極の概念が存在しています。
善と悪以外にも例えば、良い悪い、高い低い、美しい醜い、太い細い、軽い重い、長い短いなどがあります。
これらと善と悪は同じ概念です。
この善と悪を、わかりやすくするために、長い短いにフォーカスして考えてみます。
世間一般の考えでは短いよりも長いほうが好ましいと思います。
例えば、寿命や気は長い方が好ましいというのが過半数ではないでしょうか。
いっぽう、短い方が好ましい場合もあります。
例えば、労働時間や移動時間は短い方が好ましいと思われています。
これらの寿命、気、労働時間、移動時間の善悪っていったい何が判断基準になっているのでしょうか?
それが最も重要です。
善と悪を決めているのは価値観
人によって気は短い方が良いと思っている人も少なからずいるはずですし、労働時間が長いほうが良いと本気で思っている人もいると思います。
こららの良し悪しは状況や当事者の価値観によって異なってくるというのがわかります。
時と場合、状況、価値観によるという考えを悪と善にもそっくりそのまま当てはめてみてください。
どうでしたか?
善と悪も寿命、気、労働時間、移動時間とまったく同じ時と場合、状況、価値観によって異なるという結論に至ったかと思います。
つまり、良いと悪いの抽象度までしか今までの地球次元、我々の意識には無かった概念だということです。
抽象度とは視点の高さのことです
地球の二極の概念はどれも同じ抽象度
善悪や好き嫌いなどはすべて同じ抽象度です。
二極は必ず陰と陽のように反対が存在します。
善悪も、陰陽も、必ずどちらかが存在しなければ成り立たない概念です。
どちらも抽象度のレベルの位置は同じだということがわかります。
それぞれの人が持っている価値観が悪や善を決めているだけに過ぎないということです。
万物はすべて中立
各々の人がもっている価値観を他のものに例えると、包丁がもっともわかりやすいです。
包丁は料理を作るときにあると便利ですし、美味しい料理を作って人に喜んでもらうことにも役立ちます。
いっぽうで人を傷つけることにも使うことができます。
使う人次第ということであり、包丁の存在自体には良いや悪いは本来は無いということです。
つまり、万物は中立なのです。
要するに、万物の善悪は人の価値観が決めているということになります。
万物とは宇宙のありとあらゆるもののことです
善と悪の価値観を人に押し付けるのはNG
善と悪などの価値観を人に押し付けるのは意識進化を拒む最大の原因です。
なぜなら、価値観は人それぞれ違って当たり前だからです。
戦争や争いが起きる原因はこの価値観を人に押し付けているからです。
言い換えると、人を支配コントールして無理やり従わせることが争いや憎しみなどの根本原因です。
さらに言い換えると、外の世界を変えようとすること自体がNGなのです。
唯一OKなのは自分の価値観を変えることだけです。
価値観が皆違うのは役割が違うから
価値観は個人によって違います。
例えば、絵を描くことが得意な人が、絵が苦手な人に対して絵を上手くなるように押し付けるのはNGです。元々絵を描くのが苦手な人は努力しても絵を描くのが上達することはありません。海に住むイルカに陸で生活しろと押し付けているようなものです。
人には各々の役割があるので、皆違うのが自然な状態です。
価値観はもちろん、苦手なものや好きなもの、得意不得意などバラバラでいいのです。
人は支配コントールされると自分軸で生きれなくなってしまうので本来の役割がわからなくなり、意識進化が滞ってしまいます。
実はそういった支配コントール自体も意識の進化に必要なことなので出来事に良いも悪いも存在しません。もちろん、当事者は酷いことされたという被害者感情、反対に加害者の感情などは発生します。そういった両方の感情が意識の進化に必要だからです。
善と悪は抽象度の低い概念
争いごとでは、常に自分側は善で、必ず相手側は悪になります。
善の反対側は必ず悪になります。
Aの視点からみると、Aは善でBは悪
しかし
Bの視点からみると、Bは善でAは悪
それぞれの立場での価値観を主張しているにすぎません。Aの人たちの視点では自分たちは善で、向こうは悪だと。
いっぽうBの人たちからの視点だと自分たちは善で向こうは悪だと言っているだけです。
つまり、どこまでいっても平行線で堂々巡りになっているのです。
このことは気づくまで永遠に続きます。なぜなら気づくことで意識が進化するからです。
要するに、真実の善や悪は元々存在しないとうことです。これは地球だけの話ではなくすべての宇宙で共通の法則です。善と悪は幻想であり、両極を体験するためのツールに過ぎないのです。
もしたとえ善と悪が実在したとしても、その善と悪はだれがジャッジするのでしょうか?
それは常に人それぞれの価値観がそう判断しているだけです。
例をあげてみると、自然界には良いと悪いはありません。
鹿が熊に食べられても鹿は復讐しようとはしません。動物は人とは異なり意識の進化度は違うので当然なのですが、宇宙や自然には良いや悪いは存在しないのです。
この世界で人間の営みだけが善悪の二極を体験しています。
なぜなら、意識進化に善や悪の二極の体験が必要だからです。
善と悪の二極があると体験の幅が広がる
善と悪などの二極があると地球で体験できることが増えます。
映画の配役と同じようにヒーローだけだと成り立たず、必ず悪役がいないと物語が成立せず、盛り上がらないように、現実の世界も役割を演じているに過ぎないわけです。
意識進化の過程で善と悪の二極を卒業する
何事も実際に体験しないとわからないことばかりです。もちろん善と悪もそうです。
なので意識進化の過程ではどちらも体験することになります。
先ず出来事の体験があり、持っている価値観によって出てくる感情を体験し、その結果、善悪の判断をしているだけです。
①体験 ⇒ ②価値観 ⇒ ③感情 ⇒ ④善悪判断
意識進化してくると、もう一段高い視点から俯瞰して出来事を体験することになるので、悪い出来事も悪いことだと思わなくなります。
そうして意識が進化していきます。
意識進化には善と悪の二極から卒業するのが最も大事
まとめ
どんな物事も常に中立です。
善と悪は立場によって反転する価値観が作る概念です。
中立な物事だけが実在で、善と悪は後付けの価値観です。
言い換えると善と悪の二極の価値観は実在していません。
二極は体験するためのツールにすぎません。
物事に善や悪などの意味を与えているのは人の持っている価値観です。
なので人の数だけ意見が違うのは当然で、それで良いのです。
常にどんな物事も中立で人それぞれが持っている価値観が二極のどちらかの意味を与えてるだけだからです。
善と悪という二極の価値観を卒業して意識進化を成し遂げましょう。