非難や誹謗中傷(悪口)は良いことは何も生み出しません。非難したのと同じ非難を自分が受けるだけです。
この記事は次のような人におすすめです
- 非難をすると意識の進化から遠ざかる理由がわかります
非難や誹謗中傷は自他の区別がない
他者を非難や誹謗中傷することは、自分を非難や誹謗中傷していることと全く同じです。
自分の外の世界には自分の意識の内側が投影されています。
なので、他者を非難や誹謗中傷するのは自分自身を非難するのと全く同じことになります。
- 非難とは人の欠点や過失などを取り上げて責めること
- 誹謗中傷とは他人を悪く言うこと。根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること
言葉は自他の区別がない
言葉は相手に言っていても自分に言っているのと同じ効果をもたらします。
なぜなら、潜在意識や共有意識などと呼ばれる意識の深い部分では皆全員繋がっているからです。とくにわかりやすいのが汚い言葉を他者に向かって使うと自分も気分が悪くなったりすることがあります。
もちろん、そのときの状態や言葉を使う意図によって変わってくるのですが、相手を攻撃する意図があると自分にその攻撃のエネルギーが返ってくることになります。
意図はエネルギー
他者に言葉で伝えるときに攻撃の意図が無い場合は大丈夫です。意図もエネルギーだからです。
なので、冗談で非難や誹謗中傷するのは大丈夫です。
攻撃のエネルギーがついていないからです。
本気か本気じゃないかはエネルギーの質の違いで相手にも伝わります。
相手を驚かすために発した言葉なのか、傷つけるための言葉なのかはエネルギーの質が異なるからです。
意図はエネルギーとして他者に伝わるのでごまかせません。
顔は笑っていても本気で他者を非難や誹謗中傷して攻撃のエネルギーを発するとそれが相手に伝わってしまうのはそういった仕組みになっているからです。
もちろん意図はエネルギーであり、周波数なので当事者だけではなく周囲にいる人全員に伝わります、これは空気を読むといったり、空気が変わるといったりもします。
意図とは思考や思惑のことです
攻撃の意図があるかないかが重要
意識の進化を遠さげる非難や誹謗中傷は、他者を攻撃する意図がある否定や判定、評価も含みます。
とはいえ、時と場合によっては否定や批判は必要です。
相手を変えようとしない真実を伝えるための判定や評価は攻撃的なエネルギーを含みません。その際のエネルギーは意図によっては愛や調和のときさえありえます。
反対に、相手を攻撃する意図のある非難や誹謗中傷はエネルギーが違います。
つまり、攻撃によって相手を変えようとするエネルギーがあるかないかの違いが重要なのです。
非難や誹謗中傷や非難するのは他者と価値観が異なるのが原因
他者を非難や誹謗中傷するのは自分を守るためです。
基本的には非難や誹謗中傷は他者との価値観の違いが原因で起こります。
では、何から自分を守っているのでしょうか?
物質的な不利益を被ることから自分を守っているのです。
相手を攻撃してまで守ろうとするのは、この世は人間社会の地位や名誉、権力、財産が全てだという信念があるからです。
価値観を皆同じにする必要はある?
全人類は1人ひとり全員価値観が違うのは当たり前なのですが、そのことがどうしても我慢できない人がいるのはなぜでしょうか?
もちろん、非難や誹謗中傷という体験をしたいために起きているのですが、それ以外の原因として下記のことが言えます。
ここでは表面的な原因は省いています。例えば非難すると気持ちがいい等々。
- 相手を攻撃することで自分を優位にして物質的な利益を得るため
- 物質的な利益とはお金、地位、権力など
- これらの物質的な豊さを優先しているために非難や誹謗中傷は起きる
死んだら終わりという古い信念を手放そう
非難や誹謗中傷をするのは物質的な利益のためということがいえます。
その物質的な利益を求めてしまう大きな原因の1つに死んだら終わりだという信念があります。
なので人を押しのけてもお金を稼いで、良い家に住んで、世間が認める地位について、権力を得たいとなるわけです。
つまり、1回限りの人生なので思いっきりお金を稼いで、地位を上げ、良いパートナーを獲得したいという想いが根本に存在しているので、他者を非難や誹謗中傷して自分がのし上がって他者に認めてもらい、高い地位や権力を得たいわけです。
そして、他者を非難や誹謗中傷するのは競争相手として認識しているというのも原因になっています。過去の自分自身と競争して比較するはいいのですが、他者と比較しても不毛に終わります。
そもそも他者と自分は完全に違う存在だという信念が根底にあるのも原因ですが、ここでは触れません。
死んでも終わりではないということは現在の地球の意識レベルでは確認する術はありませんが、1つ言えるのは、死んだら終わりだというのは人間が昔から伝えているだけの古い信念だということです。
死んだら存在が消えるというのはあまりにも万物にたいする慈悲がなく、万物の進化発展においても無駄が多く、現実的ではないことは容易にわかるのではないでしょうか。
ただ、死んでも終わりじゃないというのは科学的に証明がされてないだけのことです。
言い換えると公にはされていないだけです。
非難や誹謗中傷は物質主義がもたらす
他者を非難や誹謗中傷するのは死んだら終わりという古い信念などが原因で物質的な利益を追い求めているからだと言えます。
このことに共通するのはすべて人間から伝わった信念だということです。
いっぽうで、自然界に着目すると物質的な利益を求めているのはヒトだけです。
その原因は人は物質的な身体(肉体)だけの存在だという真実とは違う信念を持っているためです。
身体(肉体)は様々な地球での出来事を体験するためのツールであって、存在の本体は意識であるということがわかっていないからです。
古い信念が原因
他者を非難や誹謗中傷する原因は古い信念で生きているからです。
- 人間は身体だけの有限の存在という信念がある
⇓ - 死んだら終わりなので物質的な利益を求める
⇓ - 相手を蹴落としてまで自分の物質的利益優先する
これらに言えるのは、次の3つです。
- 自分は動物と同じ身体だけの存在
- 死んだら終わりの1度限りの人生
- 目に見える科学や物質がすべて
そもそも自然界では何一つ同じものは存在しない
他者の価値観は尊重するのが何に置いても大切で重要なことです。
なぜなら、価値観の違いは普遍のことだからです。
- 自然界では砂浜の砂1粒さえ全く同じ姿形のものは存在しない。なので価値観が違うのはあたりまえ
- 人に個性がないと体験の幅がなくなる
- 価値観を統一するのは自然界の摂理に反している
まとめ
非難や誹謗中傷は相手を攻撃するための手段です。
他者を攻撃するのは古い人間社会特有の財産や地位などを代表する、物質主義的な価値観を持っているからです。
目に見える科学や物質の発展だけでは人類の進化は滞るどころか破滅にも向かう可能性が高いこと、意識の進化と発展のほうが自然界の摂理であり、法則であることに地球の人々が気づくことで、非難や誹謗中傷をすることは自然になくなっていくでしょう。
意識の進化に気づくまでもなく、他者に非難や誹謗中傷をすると、巡り巡って自分に返ってくるという万物の法則があることを実体験として知っている人もいるのではないでしょうか。
なぜなら非難や誹謗中傷するときに発するのはエネルギーです。エネルギーは消えません。
なので必ず自分が発したのと同じエネルギーが自分に返ってくることになるからです。
攻撃の意図があると攻撃のエネルギーが自分に返ってくるだけです。
反対に、励ましや感謝の言葉を他者に言うと、愛や安心を与えるエネルギーなので、結局は自分が愛や安心のエネルギーを受け取ることになります。
自分と他者は肉眼では別れているように見えているだけで、見えない意識の部分は皆繋がっているからです。
集合意識を変えるのは1人ひとりの意識の変化を伴った行動だけです。
非難や誹謗中傷する体験を卒業して、他者を攻撃して非難するのではなく、他者に安心や愛を与えることが意識の進化に繋がります。
今後はとくに意識の進化発展に貢献する、他者を尊重するというエネルギーが大切になります。
- 他者を誹謗中傷すると攻撃エネルギーが自分に返ってくる結果になるだけ
- 他者を非難するのはこの世は物質が全てだという信念を持っているのが原因