メディアから情報操作の影響を受けないことで不安と恐怖がなくなります。メディアを含めて自分と一致しない外部からの情報を鵜呑みにしたり取り入れないことは意識の進化にとって非常に重要です。
この記事を読むと次のようなことがわかります
- メディアが流す不安と恐怖を煽る情報を遮断するのがいかに大事かがわかる
メディアからの情報を受け取らないと人生が好転する理由
新聞やテレビなどの昔からあるメディアは大衆心理操作のために創られました。
元々テレビや新聞は戦争を正当化するために人々を心理操作するための道具でした。
一部の映画や本も同様です。
メディアからは不安と恐怖しか得られません。安心と平安を求めているなら、不安を煽るだけのメディアからの情報は一切受け取らないことが極めて重要になります。
なぜなら、自分の意識から不安と恐怖がなくなれば、外の世界が不安と恐怖のない安心で平安になるというカラクリに宇宙はなっているからです。
世界は自分の潜在意識や無意識も含めた意識が外の世界に反映され、それに則った出来事が起きる仕組みになっています。
メディアが創られた目的は大衆心理操作のため
昔は自分の中に違和感があっても我慢して、自分の気持ちよりもテレビや新聞が言っていることのほうが正しいという”長い物には巻かれろ”な生き方を誰もがしていました。
皆思っているからそちらが正しいという短絡的な考えを昔の人々は繰り返してきました。
以前は、ある一部の人々に都合の良い情報しかメディアは流していないという真実に気づいているのは、僅かな人だけでした。
もし、そういった真実を周りに公明正大に伝えても誰も相手にしてくれず、下手すると精神病院送りにされる危険性もありました。
そうなっていた理由は不安や恐怖を体験するための時代だったからです。
世界の人々の過半数がメディアの情報は真実ではないという本当のことに気づいてしまうと、恐怖や不安を体験できなくなるからです。
ほんのわずかな人を除いて昔の人々は皆、恐怖と不安を体験したかっただけなのです。
例えば、夢の中で自分は高いところから飛び降りても死なないと分かっていたら、恐怖という感情は夢のなかでさえ一切体感できないのと一緒です。
徹底的に自らを不安と恐怖で支配されているという役柄を演じていたわけです。
全人類がメディアからの偽りの情報を信じて疑わなかった理由は、そのほうが恐怖や不安をよりリアルに体験することができるからです。
メディアは不安や恐怖を体験するために必要
恐怖や不安の演出を本気で信じこまないとリアルな体験ができないからメディアを利用した大衆操作が必要でした。なので真実とは違うことを伝えるメディアが悪いわけではありません。
あくまでも人類の意識進化のために恐怖や不安を体験することが必要だったのでメディアはその役割を担っていただけです。
なので、メディアが悪いという攻撃的な意識をもつことは意識の進化からは遠ざかるので気をつける必要があります。出来事には良いも悪いもなく常に中立であり、各自の主観(価値観)が決めているだけだからです。
真実とは違う情報を躊躇なく流すのがメディアの実態です。
お金次第で真実とは異なる情報を流せるということに早々に気づきましょう。
なぜなら、お金がすべてという価値観の元に地球上のすべてのシステムが機能しているからです。
例えば、生活全般はもちろん、娯楽、税金、銀行、住宅など、ありとあらゆるものがお金を介しています。
つまり”お金”が悪の根元だとも言えますが、別の角度から見るとお金という道具の良し悪しを体験しているだけです。
ですが、お金を得ることや貯めることが地球で生きる主目的となり、それよりも大事なこと、意識の進化に必要な真実が見えなくさせられ、ないがしろにされている状態なのが問題なのです。問題と感じているのは平安の世界の方向に進みたい意識たちです。
なにより、お金を中心にした物質主義のままでは意識の進化は停滞してしまいます。
以上を踏まえて当記事では意識の進化のためには、何よりも先ずそうした理由でメディアは大衆操作で不安を煽っているという真実を知ることが重要だと考えます。
メディアはスポンサーに都合の良い情報しか流さない
メディアに限った話ではなく地球の古いシステム全般に言えることですが、お金が密接に絡んでいるということを先ずは理解してください。
新聞やテレビはお金という経済システムで成り立っている以上は当然ながら、外部のスポンサーからもらったお金を使ってニュースや番組を作っています。
なので、そのスポンサーに都合が悪いことは流さないことは火を見るより明らかです。
お金の供給を止められるからです。
つまりテレビや新聞が流すニュースや報道は、真実ではなく、スポンサーの意図で作られているのです。
もちろん、交通事故や事件、自然災害など起きたこと全てを虚偽だと言っているのではありません。
ですが、メディアのニュースはすべて”恐怖と不安を煽る情報しか流していない”という真実に気づいてください。これにどれほどの人が気づくかが重要です。
いかにニュースは”不安”を煽っているだけの内容なのかを意識しながら実際にテレビを見てください。すると、ニュースを見ているときに出てくる感情は不安や恐怖だけだということに気づくはずです。
何が言いたいかというと、恐怖と不安で常に人類を支配コントールする役割のある存在がいているということであり、それはお金というツールを利用してメディアをコントロールしているのです。
その証拠にTVや新聞などのメディアは決して不安や恐怖とは相反する愛や安心するニュースや情報には一切触れません。
たしかに、不安を感じるニュースは注意喚起になるのでありがたいという意見も分かりますが、意識が先で現実が後なのです。
その結果、外の世界に不安や恐怖を現実化してしまうのです。これだとハツカネズミのようにグルグルと堂々巡りです。このカラクリに1人ひとりが気づくまでは世界からすべての不安がなくなることはないでしょう。
①不安を煽るニュース ⇒ ②各自の内部意識に不安が入る ⇒ ③外の世界に不安の事象を現実化 ⇒ ④事件が起こる ⇒ ①に戻り無限ループが続く
スポンサーとは”後援者”や”支援者”のことです。
広告やPRを目的にメディアにお金を支払う会社や団体や個人などです。
お金の支配から脱却できるかがカギ
メディアは真実の情報を伝えずに、人々を支配コントールする役割、またはお金儲けという目的を持った存在たちの意図する情報しか流していないのが実情です。
こういった真実とは真逆の情報を発信することができる理由はお金という存在があるからです。
お金に支配されている人々が多いのが根本原因です。
なぜなら、まだたくさんの人々はお金で幸せになれると信じているからです。
たしかにお金はないと不便ですが、たくさん持っていても幸せとは直結しません。
例えば、自分一人だけが大金持ちになったとしても、世界中が貧乏で不幸だと優越感という感情を感じることはあっても事件に巻き込まれたり、お金を失ったり盗まれたりといった不安も発生します。
なにより、健康に問題があったり自由がない場合は幸せとは言えませんよね。
身体が不自由だったらいくらお金を持っていても幸せを感じることはできません。
お金は体験するためにあると便利な道具にすぎません。
なので、各自の体験したいことによって必要なお金の金額も変わってきます。
少額でも十分に幸せを感じることが出来る人もいるいっぽうで、いくらお金を得ても幸せを感じることが出来ない人がいるように。
それは不足というのを体験しているからです。
なにもお金に限った話ではありません。
寿命や時間が存在しているのも不足を体験しているにすぎません。
少なくとも今現在でも死んだら寿命や時間、不足を体験できないということは容易に想像がつくのではないでしょうか。
以上のことから地球を体験している意識にとって、お金の優先順位は多く見積もっても3番目あたりだと思います。
- 自由
- 健康
- お金
お金に対する価値観は人それぞれ違って当たり前なので、もっと優先度が高い人も低い人もいると思います。なので優先順位は参考程度にしてください。
お金に支配されている限り本当の安心は訪れない。つまりお金だけを追い求めても永遠に幸せにはなれません。
メディアからの不安を煽る情報を受け入れると不安の無限ループに陥ります。
お金を求めているのは、言い換えると安心を求めているのと同じです。
なぜならお金は不足という体験を作り出すから。
お金はあってもなくても不安にさせる存在です。
お金の支配から脱却しない限り人類は同じことを繰り返すだけです。
同じこととは争い、不安、嫉妬、比較など。
お金の支配から脱却し、堂々巡りの争いや幸せにならない既存のシステムや価値観に気づかないと意識の進化を阻むことになります。
メディアはお金の不安を煽るのも役割
メディアは不安を煽るのが目的ですが、その中でもとくにお金の不安を煽っています。
例えば、老後の蓄えは○○万円必要とか、貯蓄額の世帯平均といった比較情報などで将来の不安を集合意識に浸透させることで、未来永劫お金に支配コントロールさせ続けるという役割をメディアは担っているのです。
あくまでもメディアはお金の不安を煽る役割を担っているだけであって、その不安は現実には起こりません。なぜなら意識の進化に伴いお金は不幸を作り出すシステムだということに気づく意識が増えて変化が起こるからです。
ですが、何度も言うように1人ひとりがこのことに気づいて行動を起こさない限りは何も変わりません。行動とはメディアの不安を煽る情報に触れないことです。
1人ひとりが気づいて行動しないと変化は起きない
もちろん不安や恐怖という体験の場を提供するのが、そういった存在たちの役割だからなのですが、いっぽうでは安心を体験したいという意識もいます。
当記事は安心や平安の世界に生き、意識の進化に役立つために書いています。
気づいても、たしかにそうだな・・だけで終わらせるのではなく実際にそういったメディアのニュースを見ないという各自の行動がなによりも大切になります。
こういった情報に触れてもそれを実際に実践、行動しないとまったく意味はありません。
つまり、一人ひとりが気づいて行動、実践するしか外の世界や地球は変わらないのです。
誰かが世の中を良くしてくれるだろうという他力本願な考えを手放してください。
大事なので何度も言いますが、1人ひとりが人生というゲームの中の主人公であり宇宙の中心なのですから、自分が最初に変わらなければ何も変わりません。このことは現在はまだ解明されていない宇宙の法則なので、理解することは難しいかもしれませんが、各自がそれだけのエネルギーを持っている偉大な存在だという風に理解してほしいと思います。
行動と選択は各自の自由意思に委ねられる
他者との競争や批判などの制限や不安がある世界が大好きで体験したい人はもちろん現状維持でいいわけです。
一方で、恐怖や不安はもう充分で、安心で平安な世界を体験したい場合はメディアからのニュースを一切見ないという行動が必要です。
不安や恐怖は視覚からの情報が一番影響力が強い
当記事で書いたことを理解した上でニュースを見ると知らない時よりかは幾分ましですが、視覚から入ってくる情報は想像以上に意識に与える影響は大きいので注意してください。
なので、極力見ないようする、または全く見ないように常に意識することが大事です。
それと反対に、不安と恐怖の体験をしたい場合はメディアのニュースをよく見て不安や恐怖を感じ、意識に取り入れる必要があります。
メディアは真実しか流さないというのは思い込みに過ぎない
生まれた時から既に新聞やテレビは存在しており、身近な親や友達も信じていて、疑うことは皆無だったこともあり、メディアが流す情報の真贋(真実か嘘)には微塵の疑いも持つことはありませんでした。
日本人は大昔の平安な時代の記憶があるからなのか、政府やテレビ、新聞などのメディアは国民の利益になることを第一に考え、正直で誠実な組織であると信じられてきました。
それも仕方のない事で、学校やテレビや新聞がそういう教育を人々にしてきたからです。
今までメディアや学校教育に対して疑念を持つこと自体が微塵もなかったことのほうが驚きではないでしょうか。
とくに日本人は疑念を持つこと自体が良くない慣習であると教育されてきました。
勿論これも支配コントールする役割の存在たちの思惑どおりの結果です。
権威を信じて従い、疑うことを善としないのは美徳ではなく、無知であることを知りましょう。
日本人は元々、性善説で精神性が高い人が多いのは素晴らしいことで、とくにこれからの時代には必要です。
しかし、メディアなどの不安や恐怖を与える役割の存在たちは、そういった日本人の信じて疑わない特性を逆手に取っているのが実情です。
それが日本人の多くが真実に気づかない要因になっています。
全ては巧妙に意図されている
従順が善で、疑いは悪という道徳観や常識と言われることも支配コントールする役割の存在の支配下にあるメディアや学校教育の影響であることは誰が見ても明らかです。
とくに、従順ではない人のことを”強情”と言って世間で生きにくくなるように意図的に誘導されてきた真実に気づくことが大切です。
今はそういう真実が明るみになり判りだす時代です。この真実には疑いの余地はありません。
要するに、”強情”とレッテルを貼り、きめつけることで、そうした人たちが生き辛くなることを見越し、そうした大衆心理を意図的に利用しているのです。口封じのために。
そうして、必然的に信じて疑わない(従順)という態度を取る人のほうを増やしているわけです。
どうして従順がよくないのかというと、本来は自分の気持ちを第一優先にするべきなのですが、そういった強情や従順といった世間の常識という同調圧力に影響されて、自分軸ではなく、他人軸での生き方になってしまうからです。
その結果、不安と恐怖の世界を生きることになり、真実に気付けなくなって、恐怖と不安から逃れることはできなくなります。
そして、その状態のままだと意識の進化も停滞してしまうことになります。
真実に気づいている人は増えている
政府やメディアなどの組織は国民の味方だというのは幻想であり、嘘偽りというのが真実です。既にそういったメディアの情報操作は破綻していて、真実に気づいている人も今ではずいぶんと増えてきています。
なぜなら、いつも同じパターンの大衆操作をしているからです。
自作自演などの方法は歴史を見れば明らかです。
他にも例えば、自分の出世やお金のことを第一優先にしている学校の先生が現実に多いのにも関わらず、学校の先生は生徒のことを一番に思っているというのが世間一般的な常識的な考え方でした。
ところが昨今は、そういった常識を覆すような事件が起きています。
その背景には、時代の流れと、集合意識の変化による影響だと思われます。
もちろん、真実に気づく気づかないのどちらに振る舞おうが各自の自由です。
ですが、安心の世界を目指す意識にとっては、先ずはそういった昔からある常識やメディアをはじめとする誰かが意図的に創った価値観に疑念を持つことがなによりも大切になっています。
つまり、従順であり続け、先生などの権威ある偉い人が言うことは何でも正しいという、前時代の価値観や常識をきれいさっぱり捨てることがもっとも大事なのです。
権威を信じて従うよりも、どのような事象でも疑念を持ち、自分で調べることがなによりも大切です
YouTubeなどのネットでも不安や恐怖を煽る情報は遮断する
昔からあるメディア以外の情報からも不安や恐怖を煽る情報には注意しないといけません。
とくにYouTubeでは不安や恐怖を煽る動画のほうが視聴者数も多くなって収益化しやすいため、お金を稼ぐ目的でエンターテインメントや陰謀論といったようなフィクションなのか真実なのかの判断が難しい動画で溢れています。
元々地球は不足や不安を体験する世界でもあるので、初めから不安のほうにより反応する設定になっているので仕方のないことです。
ですが、意識を進化させて精神性を高めたい場合や平安な世界を望んでいる場合、そういった動画を観て不安を感じるのであれば見ないことをおススメします。
不安と恐怖のエネルギーには極力触れないほうが意識に影響を受けないのは容易に想像がつくと思います。
不安を増長する内容の動画を観て視覚から無意識の領域にダイレクトに影響を及ぼしてしまうと、自覚なく自分の意識が不安にフォーカスするようになるので、その結果、外の世界にそれが投影されて不安や恐怖を引き寄せて現実化する結果になってしまいます。
いっぽう、恐怖と不安の世界に生きたい場合は、そういった不安を煽る動画を進んで見る必要があります。
陰謀論は情報操作
陰謀論は本当なのか捏造なのか曖昧です。
エンターテインメント感があるので娯楽として捉えられています。
もちろん、陰謀論の中にも真実が含まれていますが巧妙に偽の情報も混ざっています。
なぜなら、真実を陰謀論としてメディアが報道することで嘲笑の対象にしているからです。こうすることで真実を人類の意識からなくす効果があるのです。
ようは、レッテル張りです。
これは昔から使われてきた手段なので世界のいたるところで同じような事象が散見できます。
例えば、人から人に真実を伝えるときに陰謀論という情報が意識に刷り込まれていたら、聴いた人は嘲笑の反応が出ます。そうなると本当のことを伝える側もめんどくさくなって行動に移せなくなるという意識の状態を見込んで意図的に情報操作をしているわけです。
それにくわえて、陰謀論には恐怖や不安を増長する目的もあります。
なので恐怖や不安を煽るだけの情報はすべて陰謀論として分類したほうが判り易いです。
確実に言えるのは、不安と恐怖を煽る陰謀論は見ないようにすることです。
- 真実を陰謀論とすることで真実に気づく人を減らすことが、陰謀論の目的です
- 真実を陰謀論に分類することで、偽情報だと嘲笑させて本当の真実をわからなくさせる手段です。ずっと昔から使われてきた方法です
- 陰謀論はお金儲けの手段にもなっているので見ないことが大切
恐怖や不安を体験したい人には干渉しない
○スクや○クチ○などでも同調圧力が問題になっているように、各自が選択したことには干渉しないことが何よりも大事です。
相手の選択を尊重することは何にも増して大切です。
今は多様化の時代なので、各自が違って当たり前だからです。
昔のように人類全員が同じテレビ番組を見て同じ話題に触れるといった同じ価値観を共有する時代は完全に終わりました。
他の意識存在が選択した体験には干渉しないことが当たり前になる時代とも言えます。
まとめ
昔は皆同じ価値観で生きていた時代でしたが、現在は多様性の時代です。
皆、各々の主観(価値観)で生きていく時代に既に入っています。
当記事を書いた理由は、現在もメディアの情報を鵜呑みにして、不安と恐怖に支配されている人々のための気づきや、その感情体験から脱出するのに役立つ情報を提供するためです。
なので、向かう世界が安心や平安の人は当記事を参考に実践あるのみです。
知識として知っているだけでは何も変わりません。知っている状態から行動に移したときに初めて外の現実が変化します。
- 平安の世界に向かう場合は不安を煽る情報に触れないことが先決
- メディアは大衆に不安という体験をさせる役割があった
- 意識の進化には視野を広げるために不安という体験が必要だった
- 言われるがままになることを克服しよう