我慢は美徳?
我慢は目標達成や成功のために必要?
我慢という言葉を聞いて人それぞれ思い浮かぶことは違うはずです。
それはなぜでしょうか。
この記事ではその疑問に回答します。
- 我慢する必要はない
- 我慢は波動を下げて苦しい状況を引き寄せるだけ
- 我慢という価値観や概念を手放そう
我慢とは
我慢の意味は数多くありますが、
この記事での我慢は”じっと耐え忍ぶこと。辛抱(しんぼう)すること。”です。
昔は我慢は美徳で成功するためには避けては通れないと思われていました。
”石の上にも三年”ということわざもあるぐらいに昔の人は我慢していました。
我慢強く辛抱すれば必ず成功するという価値観を持っていたからです。
でも今はどうでしょう?
我慢をしている人をみるとこちらが痛い気持ちになるのではないでしょうか。
嫌なら止めてしまえとさえ思います。
昔と今では世間の価値観がずいぶんと変わってきています。
我慢は自己顕示欲や承認欲求などの自我や思考から発生しています。
ですが、今の時代は我慢する必要はありません。
その人”らしさ”であれば我慢しないで、自分が本当に好きなことに時間を割くべきです。
我慢のしくみ
我慢の発生している場所は自我(エゴ)や思考です。
自我が持っている価値観が原因で我慢という状況を創りだしています。
我慢は必要だという価値観や思考がない人は我慢しないはずですし、そもそもそれを我慢だとは言いませんし思っていません。そういう状況を自ら創り出すこともないでしょう。
つまり、自分のもっている価値観次第で我慢したり、しなかったりといった状況を外の世界に作り出しているのです。
ポイントは我慢したほうが物事がうまくいくかどうかではないでしょうか。
結論は我慢すると上手くいきません。
もちろん、我慢してもうまくいく場合もあるのでややこしいのですが、シンプルにこう考えてください。
我慢すると意識が低波動になるので、自分に不快な現象や体験をすることになります。
一番わかりやすいのが、我慢しているひとで幸せなひとはいないとう事実です。
他人からはそのひとが我慢しているのかどうかは判別できません。
我慢しているかしていないかは本人しかわかりません。
他人に真偽を訊くのは無駄です。
なので、その人が努力しているかどうかは直感で判断するしかないでしょう。
我慢すると低波動になってネガティブな出来事を引き寄せる
我慢する必要はない?
はい。我慢する必要はありません。
我慢が必要という出来事が起きるのは、その我慢とはどういった感情になるのか体験するためにだけあるからです。
我慢し続けると体調不良などの、目に見えない部分から目に見える部分に影響が出てきます。
人によりますが我慢し続けると最終的には病気になる可能性が高くなります。
我慢することは自分自身を傷つけているのと同じです。
すくなくとも、この記事を読んでいるひとは我慢する必要はありません。
なぜなら、既に我慢という体験をし尽くして、もう我慢を体験する必要がないひとが読んでいるはずだからです。
今現在、我慢しているひとがこの記事にたどりつくことは不可能だと思います。
我慢するのは百害あって一利なし
我慢の意味
我慢とはしたくないことを嫌々、無理にしている状態のことです。
我慢は相対的です。
同じ出来事でも人によっては我慢だったり、夢中になったりと評価や感じ方は180度変わるからです。
もっている価値観は人それぞれなので、本人以外はそれが我慢しているのか、夢中になっているのかはまったくわかりません。
なので、我慢という状況は自分の中でしか起きえないということです。
もし、それをすることで心地良くて、ワクワクするのなら、我慢ではありません。
世間的には努力といったりします。
でも、好きなことをするのを努力とはいえないのではないでしょうか。
我慢とはしたくもないことを無理にしている状態のこと
我慢 まとめ
したくもないことを我慢して無理にすることはありません。
とくに、仕事を我慢して続けている人が多いと思います。
我慢することは波動にも、肉体にも悪影響でしかありません。
我慢して得られるものは体験以外だと、お金や世間体などです。
時代の価値観によって移り行く、世間体や他人の評価にこだわらないで、本当に自分がしたいことをするのがこれからの時代の生き方です。
本当に好きなことをすることで高波動になり、意識は進化するからです。